伽藍とバザール
annos://cruel.org/freeware/cathedral.html
バザール方式
リーヌス・トーヴァルズの開発スタイル――はやめにしょっちゅうリリース、任せられるものはなんでも任して、乱交まがいになんでもオープンにする――
1. よいソフトはすべて、開発者の個人的な悩み解決から始まる。
ペルソナは自分みたいな。
なにを書き直せば(そして使い回せば)いいかわかってるのが、すごいプログラマ
だれにでも使えるオープンなソースコードが、何テラバイトもある。
1 回とりあえず解決策を実装してみるまでは、問題を完全には理解しきれないってこと。2 回目くらいになってやっと、正しい解決法がわかるくらいの理解が得られるかもしれない。だからちゃんとした問題解決をしたいなら、少なくとも 1 回くらいはやりなおす覚悟はしておくこと。
5. あるソフトに興味をなくしたら、最後の仕事としてそれを有能な後継者に引き渡すこと。
このスタンスなら、押しつけっぽくなくていいね。
きちんと育てれば、ユーザは共同開発者になってくれる
リリース/テスト/改良のサイクルをすごくはやく回せる
リーヌスのいちばん賢い、影響力あるハッキングというのは、Linux のカーネル構築そのものではないと思う。むしろ
Linux
開発モデルの発明
いちばん楽な道を見つけだす真の直感
「目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない」。これをぼくはリーヌスの法則と呼んでる。
これだけのフィルタを全部突破してくる人は、貢献で
きるだけのものは持っている可能性がかなり高い。
9. 賢いデータ構造と間抜けなコードのほうが、その逆よりずっとまし。
わかるなー。
でも理由は違うかも。
の場合
データ構造はマイグレーションが必要になったりする。
コードのほうが後から変更しやすい。
13. 「完成」(デザイン上の)とは、付け加えるものが何もなくなったときではなく、むしろなにも取り去るものがなくなったとき。
減らす
14. ツールはすべて期待通りの役にたたなきゃダメだが、すごいツールはまったく予想もしなかったような役にもたってしまう。
コミュニティ形成を始めるときには、まずなによりも実現できそうな見込みを示せなきゃならない。
開発者たちが自分のコードを私物化せず
はい。
Linux は、意識的かつ成功裏に全世界を才能プールとして使おうとした最初のプロジェクトだった。
「命令という原理」は、ぼくたちがインターネットと呼ぶアナキスト天国のボランティアたちに対しては、実質的に適
用不可能だ。
自己中心的なエージェントがそれぞれ効用を最大化しようとして、その過程で自己調整的な
自律的秩序を生み出し、それはどんな中央集権計画の何倍も複雑で効率が高くなる。
自己中心的なエゴイストの文化なんか断片的で、領土争いばかりで、無駄が多く、秘密主義
的で、攻撃的にちがいないと考える。でもこの予想ははっきりと反証できる。
従来型のクローズドソースでマネジメント過大のソフト開発スタイル
よろこびが資産である
楽しみが能率をあげる
オープンソースの成功のいちばんだいじな影響の一つというのは、いちばん頭のいい仕事の仕方は遊ぶこと